赦す(許す)こと
- 藤井 浩行
- 2023年7月14日
- 読了時間: 3分
心理学や宗教・スピリチュアルの世界では「赦す(許す)」ことの大切さについて語られることがあります。
「こだわり」や「執着」から解放されることにより「自由」(選択の自由)が得られるということなのだと思います。
「自分自身」を赦し、自分の人間関係の原点となっている「父母」を赦すことで、仕事やプライベートにおいて「成功」や「幸せ」をつかむことができるようです。
これは自分自身の経験や成功している人の話を聴くことで、僕の確信となっていることです。

「赦す(許す)」ことが何故、「成功」や「幸せ」につながるのでしょうか。
僕は次のように考えています。
「赦していない状態」=自己の価値観(偏見や迷信など含む)にがんじがらめになっていて、他の可能性が見えていない状態。(
つまり「不自由」な状態)
いつも同じように考え、同じように行動し、同じような結果を繰り返している状態。
そして「赦し(許し)」=「本来の姿はそうではない」と信じている状態。例えば「意地悪なヤツ」という存在があったとします。
「赦せない状態」では、その人は「意地悪なヤツ」以外の可能性はありません。
ところが「赦す(許す)」ということは「意地悪なヤツ」以外の部分を期待し信じているから出来るわけです。
ふつうは「意地悪なヤツ」以外の部分を発見して「あ~そうか」と納得できるような証拠を見つけてから「赦す(許す)」のかもしれません。
可能性の証拠発見→赦す(許す)
しかし「意地悪なヤツ」というフレーム(フィルター)がある限り、それ以外の部分は見えてこないことが多いようです。
だから「先に赦してしまう」ことが大切なのです。
赦す(許す)→フレームからの解放(自由)→可能性の発見
これによりものごとの関係性や関連性に変化が起き、これまでとは違った結果が起き始めるわけです。
もちろんポジティブな変化ですから、ポジティブな結果につながっていくのです。
僕はどんな人にも人間としての良心というか美点というか、そういったものがあると信じています。(信じるようにトレーニングしています)
人にはエゴがあります。そのエゴは煩悩を生みます。それが悪いということではなく、それが人間としての当たり前の状態です。
「意地悪なヤツ」は、その人のエゴが育ってくる過程で身に着けたものです。
その人の顕在意識には「意地悪なヤツ」を構成する条件や材料がたくさんあるのでしょう。
だから普段の言動は「意地悪なヤツ」にふさわしいものになっているのです。
しかしその人の潜在意識には、本人も気づいていない人間としての本質があると思います。
スピリチュアル的な表現を使うと「魂」とか「ハイヤーセルフ」という部分かもしれません。
それはきっとエゴとは無縁の人間の本質的な美しさや価値を持っていると思います。
ちょってスケールが大きくなりますが、人間を構成する物質、意識、生命が「宇宙の意思」が創り出したものだとしたら、それは「自然」で「素晴らしいもの」「善」であると思います。(そうでなかったらこの世は何のためにあるのでしょうか)
なので顕在的にはどうしようもない人に見える人でも、潜在的には人としての美しさ、すばらしさを持った人なのです。
とは言っても、それを信じることはなかなかできません。
だからトレーニングが必要なのです。
それを根拠に「赦す(許す)」のです。
赦すことで、そこを原点としてポジティブな「新しい可能性」が拡がっていきます。
それが「成功」や「幸せ」につながっていくことでしょう。
また自分自身を「赦す(許す)」ことも重要です。
これは自分自身を「全肯定」するということです。
自分の無限の素晴らしさ、可能性を受け入れるということです。
これもトレーニングの要る事です。
毎日の生活の中で、自分自身を愛してあげてください。
あなたは素晴らしい存在なのです。
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