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比べること 比べないこと

「感動のメカニズム」の中で著者の前野隆司さんは「人々の欲求の対象はモノの豊かさから心の豊かさへの変化しました」と論じています。 その根拠のひとつとして、心理学者ダニエル・ネトル氏の論じた、地位財と非地位財の「幸福の持続性が異なる」という考え方をあげています。 地位財というのは周囲との比較で満足が得られる財で例えばお金、モノ、地位などで、それによって得られる幸福感は一時的だというものです。 そして非地位財というのは、人と比較しなくても満足が得られる財のことで、健康や自由・自主性といったようなものがあります。 こちらの得られる幸福感は長続きするようです。 この考え方はハーズバーグの「動機づけ衛生理論」とも共通する部分があるように思います。 きっといろいろと実験をした結果、そのような結論に至ったのだと思いますが、この考え方は、僕のこれまでの人生における経験での実感に非常に近いと感じるので正しいのではないかと思います。



他の人との比較において得られる価値は一時的なもので、長期的に見た時には小さいと言えるのではないかと思います。 一方、他人と比較するのでなく昨日の自分と比較することが、持続的な幸福感を得るために大切なのではないでしょうか。 自己の成長を発見することは感動だし、幸福感を感じることができるのではないかと思います。 そして昨日の自分と比較して成長し続けたら、きっとその結果として地位財が伴ってくるのではないかと思います。 地位財は目的ではなく、結果として得てゆく方が幸せなのではないでしょうか。地位財が目的になると、経験上、幸せの材料というよりは苦しみの材料になりやすいのではないかと思います。


僕の幼少期の家庭は、経済的に決して豊かではありませんでした。それは幼いながらに、お友達の家に遊びに行くと感じ、理解することができました。 その時から、誰かと比較するクセが僕の中に育ったようです。 だから常に勝った、負けたと、他の人と比べて自分を評価するクセがつきました。 それもあって、中学生くらいまでは勉強でもスポーツでもなんでも、そこそこ”勝てる”人間になっていましたが、どの分野にも必ず自分よりも優れた人はいるものです。 高校生くらいになると、まったく勝てなくなりました(笑) でも負けたくない…。 その頃から、ずっと自分をムチ打ってきたように思います。 それが50歳くらいまで続きました。 それでも32歳の時に「自分が源泉」に出会っていたので、少しはましだったと思います。 少なくとも「自分で人生は創り変えることができる!」と気づくことができたので。 しかしずっと地位財を追い求めていました。 そして、妻の死も乗り越え、それなりの努力もしてある程度「勝ち組」になれたかなと思えた頃、その地位財をすべて失い人生の底に沈みました。 そこから立ち直るのに6年はかかったのではないかと思います。


そして今、人と比較することをほとんど手放すことができたように思います。 なぜなら、今この瞬間が幸せだし、感謝でいっぱいだからです。 ちゃんとご飯が食べられています。ちゃんと眠ることができています。 支えてくれる大切な人たちがいます。 それはいろんな環境や条件が整っているからこそ可能なことです。奇跡と言っていいのではないでしょうか。 当たり前という人にとっては当たり前のことだと思います。(これは否定しているわけではありません) だけど、僕にとっては当たり前ではない感謝の対象です。 そんな風に捉えられるようになってから、幸福感が増したように感じます。 事実として、人はいつか死にます。 その時に何を持って行けるでしょうか。


僕の両親は、お陰様で健在です。そして相変わらず経済的に豊かではありません(笑) だけど今の僕にとっては、尊敬と感謝の対象です。 32歳までの、不満の対象でしかなかった両親との関係を考えると、このような両親との関係も幸せの一部です。

 
 
 

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