大切なこと
- 藤井 浩行
- 2020年7月20日
- 読了時間: 2分
今日、7月20日は妻の19回目の命日です。
不思議なもので亡くなってからの方が、彼女の存在を近くに感じます。
今でも一緒に居てくれているように思うのです。
実際、探し物などをしているとインスピレーションが湧くことがあるのですが「教えてくれたな」という感じがします。
偶然起こることに意味をつけて、勝手な解釈をしがちなのが人間ですが、偶然とは思えない時があるのです。
真実かどうかは分かりませんが、そんな時、幸せを感じるのでそれで良いと思っています。
今でも時々、彼女の言った冗談や、天然ボケのことをふと思い出して笑ってしまうことがあります。
人の存在は肉体が無くなっても、人を力づけるのだと実感します。
自分自身が、より多くの人にとって、そのような存在になれたらいいなと思うのですが、それは結果として起こることなので意図しながらも、それは手放して貢献できることをしようと思います。

結婚生活は8年間でした。
その間は、僕は決して良い夫ではなく、特別に仲良し夫婦というわけでもなかったと思います。
あたり前の状態の時は、真価は分からないものですね。
「大切なものは目に見えない」と言います。
その通りだと思います。
日々、目には見えないけど大切なものを見て、感じる人が幸せな人ではないかと思います。
しかし、自分自身で「自分にとって何が幸せか」を明確に認識してそれを生きている人はどれくらいいるでしょうか。
僕の場合は自分が決めているというよりは、外からの情報によって幸せの基準を決めていた部分がありました。
今でも、その影響はまだまだ大きいですが、10年前に理念・ミッションを明確にしたことで、だいぶ軸がブレなくなってきました。
また、ブレても修正するようになりました。
人は“幸せになるために生まれてくる”のだと思います。
そしてそれは誰かがしてくれるのではなく、自分でなるのだと思います。
そのためには、自分自身にしっかりと向き合う必要があるようです。
外から取り入れた価値ではなく、自分自身の中にある価値に目を向けてみたらいいと思います。
どう生きるかを考えたり、理念やミッションのことを明確にすることは、人生において「重要ではあるけれども緊急でない分野の事」だと思います。
一番、後回しになりがちな分野です。
マザー・テレサは「人々は忙しすぎます。微笑みを交わす暇さえありません」と言っていますが、実際には自分自身にさえ微笑むことができていないかもしれません。
19回目の命日に、そんなことを考えています。
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