世界は自分の見たいように見える
- 藤井 浩行
- 2022年3月28日
- 読了時間: 2分
世の中は自分が創っているとか、自分の見たいように見ている、と言われます。
先日経験したのは正にそのことでした。
一つ目は、座禅でのこと。毎日20分ほど座ることを日課にしています。
座る時間は、小さいろうそく一本分。だいたい20分です。
その日は大切なアポイントがありました。
しかし出かける予定時間になっても、まだろうそくの火はついています。
あと2分くらいはかかりそうです。
この時点で、すでに邪念だらけで座禅どころではないのですが,,,。
反応としてはイライラが出てきます。
この時に気づきました。
「なぜ俺は、ろうそくの火を消さないんだろう?」
さっさと消して、出かけてしまえばいいだけのことなのに。
そして結局、火を消して出かけたのですが、自分自身に「迷信」を創っていました。
「火が消えるまでは座っていなくてはならない」「神聖な座禅は中断してはいけない」と。
自分が創った非合理な迷信(ルール)に縛られていたのです。
こだわりや執着は、偏った見方になって自由を束縛し可能性を値引いていることがありますね。

もう一つは、電車内でのこと。
誰かが携帯電話でドラマを見ているようで、そこそこ大きな音が聞こえてきます。
「誰だよ。イヤホンくらいしろよ!」と思います。
向かい側に4人座っていて、そのうちの一人が携帯を見ています。
35歳くらいの男性でサラリーマンのようです。仕事はできそうですが、服装はビジネスで着るにはおしゃれで少しチャラい感じがします。
近くに立って携帯電話を見ている人がいます。これも35歳くらいのサラリーマン風の男性です。
結婚指輪をしていて、しっかりとしていそうですが強引そうな雰囲気を感じます。
こちら側に座っている人で携帯電話を見ている人は、僕の右側の二人目の人です。
27歳くらいの長髪、小太りの男性です。
「こいつが一番怪しい!」と心の中で思いました。
「でも向かいのチャラいのも怪しい」
「立っている人も可能性がないわけではない」
などとイライラしながら犯人探しをしている自分がいました。
そんな時間が5分くらい続いたでしょうか。
隣の中年の女性が「あら?私かしら」とつぶやいて、バックから携帯電話を出して音を消したのです。
・・・。
見た目による思い込みで、僕は真実ではない世界を見ていました。
どんな場合でも、今見たり聞いたりしている現象は、あくまでも「現れ」であることを知っておくことで、常に可能性を残しておくことが大切なようです。
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