ボランティア活動
- 藤井 浩行
- 2023年4月9日
- 読了時間: 2分
国語辞典でボランティアを引くと「(義勇兵の意)志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」と出てきます。
日本語としての「ボランティア」においては、「奉仕者」や「無償」のニュアンスが強いようです。
チャリティー(慈愛・慈善・博愛精神に基づく公益的な行為・活動)の要素が強いのかもしれません。
ボランティア(volunteer)の語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ)にあります。
これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味です。
つまり「自主性」「自発性」がその中心となる性格なのです。

僕は昨年の暮れから、ボランティア活動を始めました。
子ども食堂や、学習支援、フードパントリー(食品を無料で提供する支援活動)などです。
いじめや虐待など、子どもの健全な育成に障害となるような問題に対して、何かできないかと考えていたからです。
そこには「やりたい」という「主体性」が確かにあったように思います。
私たちは「主体的」に何かを行う時には「よろこび」が伴うようです。
知り合ったボランティアの人たちに問いかけてみると、その活動によって自分自身が喜びを感じると言うのです。
自分の力を活かして、誰かに喜んでもらうことが、純粋に自分自身の喜びにもなるのでしょう。
「喜び」そのものが報酬なのです。
だから義務感や「ねばならない」でやる活動ではないと思います。
しかし、やればやっただけの喜びや充実があります。
(この宇宙のたった一つのルールは「与えたものが返ってくる」だそうです)
もともと人間は社会的な動物としての構造、しくみを持っています。
ですから人に感謝されることに対して、私たちの脳は快感を得られるようになっています。
また自分自身が自分の善行を認識することでも快感が得られるようです。
私たちは社会的存在として、協調、協力し合うように「貢献」に対する感謝、あるいは「貢献」そのものに快感が得られるように創られているんですね。
なので、僕は「たくさんの人がボランティア活動に参加したら良いのに」と考えています。
人生の中に喜びや生きがいを見出したいと言う人はやったらいいと思うのです。
「誰かのため」ではあるのですが、「自分のため」に是非やったらいいと思うのです。
一人一人の小さな行動から世界は変わっていきます。
僕はそう信じています。
遠い未来かもしれませんが、この活動の先には「愛で満たされた平和な世界」があると信じています。
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