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クリアリング

「クリアリング」のために書きます。

ふと、約20年ぶりで思い出したある一つのできごとがあります。

これまで一度も思い出したことのない出来事でした。

それは、2001年の4月の下旬だったと思いますが、僕が立ち上げた会社の社長を降りると決めた日の事です。

(僕はこの会社で、社長としてスタートしましたが、平取締役になり、株式譲渡で一般の部長職になり、その後取締役になり、また社長になるということを6年間ほどで体験しています。あまりに複雑なので経歴を説明する時は省いている部分です。そして面白いのは、その間僕がやっていた実質的な役割はまったく変わらなかったと言うことです)



立ち上げからようやく半年が経とうとしていた時です。

ミーティングスペースで、その当時No2だった人に、社長を降りて仕事を離れることを伝えました。

衝動的に決めたと言ってもいいかもしれません。

それまでは、奥さんの病気の進行と会社の立ち上げとが同時に進行していたのですが、どうしても仕事を離れることができなかったからです。(社長とは言っても実務の大部分が僕の領域だったのです)

前年11月に0からスタートした売り上げが親会社の力を借りることなく3月に600万円、4月に900万円を突破しやっと会社が軌道に乗り始めたことが明確になりました。2月までは200万円売り上るのが精いっぱいだったのです。

会社立ち上げの時期に奥さんはガンを再発し、この半年ほどで大手術を体験し、つらい治療を続けていました。

僕は新宿の事務所で夕方まで仕事をし、1時間ほどかけて病院に行き5分ほど面会して、また会社に帰り仕事をするという生活が続いていました。2月くらいまではほとんど会社に泊まっていました。

彼女が人生で一番つらい思いをしている時に、僕はそばに居てあげなかったのです。

僕にとっても肉体的、精神的にギリギリのことが続いていました。

3月くらいには彼女の余命は3ヵ月と言われていたと思います。

なので、会社の将来にめどが立ったところで仕事は部下に任せて、社長を降りることを衝動的に決めました。

その時のことを思い出したのです。


僕はあまり裕福でない家庭で育ちました。

だから幼いころからの希望は、将来は何でもいいから「トップに立って人並み以上の地位とお金を得る」ことでした。

それが僕にとっての「成功」のイメージでした。

高卒で秋田から埼玉に出て就職し、まったく見知らぬ土地で、学歴なしお金なし人脈なし、すべて0からのスタートでした。

だから実績をつくることで、キャリアを積みました。

そして40歳の時にやっとつかんだ、僕にとってのささやかな「成功」だったのです。

だから、やっと軌道に乗ってこれからが本番だと言う時に、それを手放す判断をするのは、本当に大きなことでした。

やっと人並みになれたのに、、、と言う時でした。


しかし今では、それで良かったと思っています。

少なくとも、彼女は7月20日までは生き、その間ずっと一緒に居ることができました。

(遅すぎたかもしれないけど)

そこまで延命したのは奇跡が起こったからだと思っています。

その時の経験がなかったら、悔やんでも悔やみきれない思いを残すことになったと思います。

一生苦しみ続けることになったでしょう。(今でも十分に苦しいのに)

その後も、仕事に復帰する気にはなれず、今後どうするかをボーっと考えていました。

10月くらいになって、部下からどうしても戻ってほしいという要請を受けて仕事に復帰しました。

お陰様でその後は年商5億円~6億円規模の企業になりました。


この二日ほどの間で、自分にとっては辛いことがありました。

「いつもこうだなぁ」なんて考えていたら、ふと20年前の事が頭に浮かんだのです。

自分に起こることは受け入れていかないといけない。

すべては「自分が源泉」で創ったこと。

そこには良い、悪いはない。

そこから学ぶことが大切。

自分で創った結果ならば、自分が創り替えることができる。

受けとり「クリアー」と宣言し、「完了」し新しい一歩を踏み出します。

 
 
 

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