「親ガチャ」
- 藤井 浩行
- 2021年10月26日
- 読了時間: 3分
「親ガチャ」という言葉があります。どのような親の元に生まれるかは運しだいという、ソーシャルゲームの「ガチャガチャ」になぞらえた表現です。

大富豪の家に生まれた人。毎度の食事にも苦労する家に生まれた人。
平和な国に生まれた人。戦争の真っただ中に生まれた人。
IQが150で生まれてきた人。IQが90で生まれてきた人。
いろんな人が居ます。
僕もかつては「親ガチャ」(40年前はそんな言葉はありませんが)にハズレたことを、恨みながら生きていた人間でした。
自分の運命(人生)を悲嘆していました。
親が違ったら、もっと素晴らしい人生、生活になっていただろうと考えていました。(「皇族の子に生まれたらよかったのに!」)
そんなことを考えても何も変わりはしないのに、大切なエネルギーを過去のことに使っていたように思います。
「幸せ」は外部からやってくるものと考えていたのだと思います。
32歳の時に、シナジー・スペースの人間力研修に参加して、そんな親への非合理なこだわりから解放されるきっかけを得ました。
それからさらにいろんなことを経て、今では両親を誇りに思い、感謝しています。
話は変わりますが、僕の妻は40歳で亡くなりました。
その時に感じたのは、人生の不条理さです。彼女は僕に比べると「ものすごく素晴らしい善人」です。客観的に見てそう思えます。
なのに彼女は死に、僕は生きています。
そのことが、腑に落ちなかったのです。
「人生って何なのだろう?生きる意味って何だろう?」
中学生ぐらいの時に考えていた、青臭い疑問がまた頭をもたげてきました。
その時に初めて、スピリチュアル的な本を読みました。
どちらかというと理屈が通って論理的なものしか信じない僕ですが、その時は「魂の療法」という本を何となく手に取ったのです。
読んで感じたのは、信じるかどうかは別にして、否定はできないということでした。
科学的に考えるのであれば、科学的に証明されていないものでも、200年後に証明される可能性があるのであれば、否定はできないと思ったのです。ですから、その後はこれは本当かもしれないと直感できるものは否定しないようにしています。
実際、量子力学の分野では、これまでありえないと考えられていた現象が証明されたりしています。
これまでそんな類の本を何冊か読みましたが、その中のひとつに「子どもは親を選んで生まれてくる」という考え方があることを知りました。
今だから言えるのは、僕も両親を選んで生まれて来たであろうということです。
そう思えるのは、自分の人生を受け入れることができたからだと思います。どんな人生であろうと「これは自分の人生」と言えるようになったからだと思います。
その人生を評価するのは、自分であって他者ではありません。自分のことは自分でしか裁けません。
大きなことはできないかもしれませんが、日々、誠実に心地よく生きていきます。
それは僕にとって、まぎれもなく「幸せ」なことです。
自分の「幸せ」は状況や環境に因らず、自分で創造するものだと考えます。
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