「自己受容」
- 藤井 浩行
- 2021年4月1日
- 読了時間: 2分
奥さんが亡くなって20年が経ちますが、毎日の生活の中で何かにつけ支えられていることを感じます。 この20年、いろいろなことがありました。そして今現在は、とても「幸せ」な状態です。何があるというわけではありません。客観的に見たら、収入は20代の頃よりも少ないし、財産と言えるようなものは何もなく、社会的な地位があるわけでもありません。 だけど、やりがいのある仕事をし、そこに満足を感じ自分に正直に無理をせず、自分らしく生きられています。

僕は人生において、「お金」と「地位」に執着してきました。それがないと、自分自身を認めることができないと思っていたのです。。 そして安心もできなかったのです。 しかし、やっとそれを手放すことができました。 「お金」も「地位」もあったらあったでそれは素晴らしい。 そして、それがなければ、なくてもいいじゃないか。 そんな風に捉えることができるようになりました。 もしかしたら、そのことを僕に教えるために、奥さんは病気になり亡くなったのかもしれない、とさえ思います。 ここまでくるのに、ずいぶんと時間がかかりましたが、今はとても幸せです。
幼少期から、ずっと他人と比べる人生を過ごしてきました。 自分や、僕の家は他の家に比べて劣っているから追いつき追い越さなければならない。その象徴が「お金」と「地位」だったのです。 そんな思いが55年間も僕を支配していました。彼女が亡くなってからもそれは変わりませんでした。 しかし、事があることに彼女が亡くなった意味を考え続けてきて、その結果として今があります。 人と比べることが無くなったので、現時点での自分自身を認めることができるようになりました。他人から見える自分を気にすることが少なくなりました。(「無くなった」というところまでは行っていないようです) 他の人からどのように見えようが、自分自身が誠実に自分の存在理由を生きていることで、自分で自分を認めることができるのです。
これが「自己受容」ということでしょうか。 そのような意味では、自分の価値観をパーソナル理念として文言化したことは大きな価値がありました。 また自分の「強み」を認識することで、「弱み」を許せるようになったことも、自分を承認し人と比較しなくなった要因の一つと言えるようです。
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