「穣の一粒」を読んで
- 藤井 浩行
- 2020年3月25日
- 読了時間: 3分
松平みなさんの著書「穣の一粒」を読みました。 明治8年(1905年)に40歳でオーストラリアに渡った高須賀 穣という実在の人物の物語です。 奥さんと幼い子供も同行していました。 目的はオーストラリアで稲作を産業にすること。 オーストラリアの経済を豊かにし、コメによって世界の飢餓を失くすこと。 この二つが、その大きな理由だったようです。 また日本が稲の不作で食料に困った場合でも、オーストラリアから輸入すれば賄えるようにとの思いもあったようです。 明治8年当時は、今ほど世界に食料が十分でなく不安定だったのだと思います。 それにしても、日本ではまったく何不自由なく生きてきた一家が、そんな理由で他国に貢献しようと思うってすごいことだと思います。

そしてオーストラリアでは大変な苦労をされました。
まず白豪主義との対峙。
当時はアジア人を締め出すための法律があり、オーストラリア人には強い人種差別意識があったことです。
それに対して穣と家族は、日本人であることに誇りを持つこと、いつでも毅然として、なおかつマナーの良い行いをすること、決してあきらめないことによって乗り越えます。
(このことに、僕に大いに刺激を受けました)
二つ目は、最後には米の試作に成功はするのですが、それまでになんと21年を要したこと。
その間には家族が食べるものもない極貧を経験します。
21年を要したのは、貸与された土地が毎年川の氾濫により滅茶苦茶になるのが大きな原因のひとつでした。
堤防を自分で造ろうとしますが、造っては決壊、造っては決壊の繰り返しでした。
行政に何度も何度も援助を要請しますが、白豪主義の壁にぶつかり援助を得ることは一切ありませんでした。
しかし最後には、なんと家族の力だけで3キロ半の堤防を造りあげたのでした。
3キロ半の堤防の土木工事を、個人の力で創り上げるなんて!
そして、そんな経験をしながらも米の試作に成功し量産のめどが立つと、その後の事は行政に任せてあっさりと身を引いてしまいます。
(現在オーストラリアでは、95万トン以上の米を60か国あまりに輸出しています)
そしてその後は、またゼロから葡萄づくりを始めるのです。
物語の中で、穣の人生のテーマは、自分自身に勝つことl自分自身への挑戦のようでした。
自分自身と戦うことで世界に貢献しようとしたように思われます。
当時の世界は“戦う”ことは他国と戦うこと、戦争を意味していたのではないでしょうか。
そうではない“戦い”を穣は求めていたし、訴えていたのではないかと思います。
これほどのことが、一人の人間にはできる。
その可能性がある。
その背景には家族の信頼、愛がある。
おおいに感動し、学びの多い一冊でした。
こんな物語こそ、NHKがドラマ化したり映画になったらいいのにと思いました。
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