「当たり前」と「感謝」
- 藤井 浩行
- 2021年11月12日
- 読了時間: 2分
週に一度か二度、サウナに入ります。
90℃のサウナと20℃の水風呂に交互に入ります。これを4回ほど繰り返すのですが、サウナに入っている時は「暑い。早く水風呂に入りたい」と水風呂を恋しく思い、水風呂に入っている時は「冷たい。早くサウナに入りたい」とサウナを恋しく思います。
僕は、とことんわがままにできているなぁと、つくずく思います。
失うと、その有難さを身に染みて感じることになります。

そう言えば9月に、ウォーキング中に飛んできたサッカーボールによって僕の携帯電話が破損したことがありました。
毎日無事に過ごしていられることを当たり前と思っていたけど、そうでないことを体験しました。そのことを教えてくれた出来事ではなかったかと思います。
考えてみると、大きな災害の被害にもあわず、事故や事件に巻き込まれることもなく、病気に苦しむこともなく、障害もなく毎日が過ごせています。これは奇跡の連続が為せることかもしれません。
なのにそのことを忘れてしまいます。そして「当たり前」のこととして、感謝することも忘れてしまいます。
「当たり前」のことを失ってみると、その存在の大きさが分かります。
「当たり前でない」ことに気づきます。
今、無事でいられるのは、自分を取り巻く縁によってもたらされているのでしょう。そのことにしっかり感謝して、毎日を過ごすことが大切なのだと思います。
慶應大学の前野教授の「幸福学」やその他の研究において、「感謝」が「幸福」と関連性が強いことが解っています。
僕は、毎日の小さな出来事に感謝することで「感謝力」がつくと考えています。
感謝の習慣づけなので「感謝行」と言ってもいいかもしれません。
これからも「感謝行」を続けていきます。
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