「完了」のパワー
- 藤井 浩行
- 2021年10月10日
- 読了時間: 3分
世の中は「現れて」見えると言います。
「現れ」は自分が身に着けている「フレーム」によって創られます。
「フレーム」は過去の経験、その経験から来る価値観、思い込み、ビリーフ(信念のようなもの)などで構成します。
私たちは、その「フレーム」を通して物事を見、自動的に判断や解釈をします。
そして、その判断や解釈を基に反応し行動します。
出来事→判断・解釈→反応→行動→(行動の)結果。このプロセスはほぼ自動的に行われ、パターン化している場合があります。
良いパターンであれば、そのまま続けたらよいのですが、好ましくないパターンの場合は改善する必要があるかもしれません。
今は改善しているのですが、僕は母親のことが嫌いでした。
それは、僕のやることに対して否定的で押しつけがましいところがあるからです。それは僕が小学生の頃に大切にしていたマンガ本を母が勝手に捨てるとか、お小遣いで買ってきた本を勝手にお店に返品するとか、そんなささいな経験から創り上げたフレームです。
母親にしてみたら、マンガ本は子供には有害だったり、不適切なものという思いがあったのかもしれません。ちゃんと育てたい、という思いもあったでしょう。愛情からの行動だったと思います。
しかし僕にとっては「自由に行動することを否定される」「母は僕を信頼していない(否定している)」という経験だったようです。
なので母から何か言われると「また否定される・受け入れてもらえない」というフレームが反応して、僕はカーっとなって怒りのモードに入ってしまうのです。結果、僕が母を無視をするか言い争いになります。
高校を卒業するまでは同居していましたが、それまでの間、口を開けば言い争いになるのでほとんどコミュニケーションはなくなっていたように思います。家を出てからは僕が結婚するまでの間、ほとんど実家とのつきあいはなかったくらいです。

僕は母に対して「自分の行動を認めてほしい」「信頼してほしい」という思いがあったのだと思います。
でもそうしてもらえなかった。
「してほしくて、してもらえなかったこと」は僕の中に「未完了」として残りました。
この「未完了」が僕の「フレーム」を形成し「反応」を引き起こしていたと思います。母を見れば「僕を認めない人」と「現れて」見えていたことでしょう。
月日は流れ、母との関係はだんだんと修復されてきました。
それは母は心配性で、僕を大事に思うがあまり、おせっかいをする人だということが分かってきたからです。僕の「フレーム」がだんだんと書き換えられてきました。
ところが僕が55歳くらいの時に、あることがきっかけで古い「フレーム」が激しく反応しました。そして母を大声で強く非難したことがありました。
その時、自分の「反応」に気づき、「本当はこんな状態を創りたいわけではない」と自己内会話がありました。本当なら、母とは良い関係性を続けていきたいのです。
この激しい「反応」の原因は「未完了」の事柄にあることは瞬間的に分かっていたので、意を決して僕が傷ついた小学生時代にあった出来事を母に話しました。前述したマンガ本の件です。
母親は、そのことを全く記憶していませんでした(笑)
母にとっては取るに足らないことだったのだと思います。その頃の母は、父と一緒に店を切り盛りしながら、二人の男児の子育てをしていたのです。毎日の生活が必死でした。
今の僕なら、それが良く理解できます。
僕は「未完了」の事柄を、本人に伝えることで「完了」しました。
「言いたくても言えなかったこと」を言葉にして「言う」ことで「完了」したのです。
そのことがあってから、母は「僕のことを誰よりも大切に思ってくれる人」と「現れる」ようになりました。
それ以降、母との関係は良好です。「現れ」が変わり、僕が思いやりを持って対応できるようになったからだと思います。
「完了」のパワーを実感した出来事でした。
*****************************
●「セルフコンディショニング」のメール講座(無料)
【 登録URL 】→
https://1step-m.com/pgm/dsp_reg_mag_k.php?msm_id=msm0000006490
Comments