「コミットメント」について
- 藤井 浩行
- 2020年1月17日
- 読了時間: 2分
僕は「コミットする」という言葉に、かつて抵抗感がありました。
そして、同じように感じている人は少なからずいるようです。
「コミットメント」には「責任の伴う約束や目標や目的に対して積極的に関わる、責任を持って引き受けるという意思表示」という意味があるようです。
「責任」という言葉が重く感じられるのかもしれません。
やると言って出来なかったら、責められること、評価が下がること、無責任と判断されること、というようなイメージでしょうか。
だから、過去の経験からできそうなことはコミットするけれども、チャレンジングな目標については、怖くてコミットできない自分がいたようです。
もし、それが達成できなければ、嘘つきになって信用を失うからです。
そんな時の感覚は、ワクワクというよりは、ズーンと思い感じです。
「嬉しい・楽しい」というよりは「不安」が感じられます。

本来の「コミットメント」の役割(存在理由)は、チャレンジしようという人を力づけることだと思います。
これまで経験のないことにチャレンジをする時、その成否は全く保証されたものではありません。
成功する可能性はあるけれども保証のないものです。
保証がないのだから、全力で取り組んだ結果、達成しない場合は仕方がない。
これくらい開き直っても良いのではないでしょうか。
そんな開き直りができてから、僕は「コミットメント」に抵抗がなくなりました。
重荷ではなく、僕を力づける存在になりました。
そして、自分のエゴからではない「貢献」からのコミットがパワーを発揮するようです。
人には、他人のために役に立った時に喜びを感じる「社会脳」が備わっているとのことです。
利他行動によって、ドーパミンやベータ‐エンドルフィンという神経伝達物質が分泌され幸福感を感じるのだそうです。
「コミット」による行動によって、他者への貢献を目的としたゴールに近づくたびに「脳内快感物質」によってさらなる次の行動が動機づけられていくのだと思います。
「開き直り」と「貢献」が「コミットメント」のパワーを最大限に引き出すのだと考えます。
僕にとって、現在一番大きなコミットは、「自分が源泉」研修が全国で開催できる体制・仕組みを創ることです。
たくさんのハードルがありますが、それをすべて突破口として捉え前進します。
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