「インフルエンザ」で考えたこと
- 藤井 浩行
- 2020年1月10日
- 読了時間: 3分
今年の幕開けはなかなかハードでした。
大晦日から4日午前中まで、インフルエンザで寝込みました(笑)
仕事において一番影響の少ないこの時期を狙って発症してくれたことにまずは感謝です。
きっと僕の体の細胞くんたちが一生懸命にくい止めていたんでしょうね。
(30日まで仕事で、6日から仕事なので)
ここのところ、2年に一回はインフルエンザにかかっています。
それ以前はそれほど頻繁ではなかったので、年齢のせいにはしたくないのですが頻度は高くなってきています。
インフルエンザは高熱や咳に悩まされている時は確かにつらいのですが、治るとそれまで溜まっていた悪いものが全部吐き出せた感じがします。
それから罹患し完治することで、免疫の能力が上がるような感じがします。
実際、症状が悪化するのは新しいウイルスや細菌に対してなので、それを克服したということは新しい強敵を短期間で研究し争いに勝って、免疫の抗体を新しく得たということなので、実際に能力は上がっているのでしょう。
今、「争い」という言葉を無意識に使ってしまったのですが、今回のインフルエンザ経験で感じたのは「争い」というよりは「競い合い」です。
「力試し」「トレーニング」のイメージでしょうか。
なぜ、そんな感覚になったのかと言うと、難しいことは分からないので理論的に合っているか合っていないかわからないし、かなり乱暴な考え方ですが、物質はどんなものでも最終的には陽子と中性子と電子でできているとしたら、すべての存在は一緒だと思うのです。
そしてそのレベルでは、陽子の自我だとか、電子の我欲などというものは無いと思うのです。
そんなものが、争う必要があるのだろうかと思うのです。
そして、ウイルスの増殖システムや、それを迎え撃つ免疫システムがあまりに精巧なシステムなので、偶然ではない感じがするのです。
僕は基本的に、神のような宇宙の創造主の存在は「分からない」という立場の人間です。
しかし、それにしてもこの世の中があまりによくできているので「仕組まれている」と感じるのです(笑)
(最近、映画の「マトリックス」(1999年作)を見たものだから「仕組まれている」感が強くなっています(^^))
「仕組まれている」ということはルールがあるような気がするのです。
そのルールに則って、互いを高めあっているように感じるのです。
専門の科学者や医療関係の方に言わせたら「なんて馬鹿なこと言ってんだ」ということになりそうですが、病気はひょっとして細胞レベルの大運動会なのかなと考えたりします。

ただこの数日間で、ウイルスと競い合ってくれた僕の細胞は何千万、何億と死んでいったことでしょう。
「僕」という本体を守るために犠牲になってくれた、僕の物質的存在である肉体(の一部)があると思います。
(通常の状態でも0.5%の細胞は新陳代謝でなくなっているそうです。当然増えている部分もあるのですが)
そのことに感謝しないといけないと思うのです。
そのことをしっかりと自分の体にメッセージとして伝えたらいいと思います。
何人かで一斉にレモンに「ありがとう!」と声をかけると味が変わります。
突き刺さるようなすっぱさから、まろやかなすっぱさになるんです。
感謝のエネルギーがなんらかの肯定的な影響をレモンに与えたのだと、僕は解釈しています。
なので自分自身に感謝を伝えたら、それは肯定的なエネルギーとして肉体に影響を与えるのではないかと思います。
自分の人生に一番貢献しているのは、自分自身です。
まずは自分自身に感謝を伝えたらいいと思います。
これは、自分のことが好きとか、嫌いということとは違うと思います。
もし嫌いでも、自分への貢献に対して感謝を伝えることはできると思います。
自分自身への感謝を忘れずに、この一年も自分のミッションに従って精いっぱい活動していきます。
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