阿頼耶識
- 藤井 浩行
- 2021年4月14日
- 読了時間: 2分
ある仏典に「阿頼耶識」という考えがあるそうです。
人間の意識には階層があり、それを表層から「了別境識」「思量」「異熟」というのだそうです。
「思量」と「異熟」は深層意識の部分で、普段は知覚することがないようです。そして「異熟」での意識行動を「阿頼耶識」と言います。
またその下層には「宇宙意識」があると考えられているようです。ユングが「集合(普遍的)無意識」と呼んだ部分と同じかもしれません。
阿頼耶識の働きとして、将来、物質や状態となるべき種子が貯えられていると考えられています。私たちは日夜、意識的無意識的に自分の深層意識に、想念としてその種を投げ入れているわけです。
これが「因」となって将来の「果」を創る因果運動をすると考えられています。
「阿頼耶識」には倫理や感情などはなく、選択する知恵や配慮もないようです。ただ、メッセージを受け取ってそれを実行するという性格のようです。

経験的に、これは確かにあるかもしれないと思います。
心配性な人には、その心配していることが実際に起こるとか、楽観的な人はいつも良い結果を創るとか。
確かに繰り返し「思い起こす」ということは、メッセージにより自分に対して暗示をかけているようなものです。そのことと同じ理屈なのではないかと思います。
アファメーション(肯定的な自己宣言)や、ビジョンマップ(ビジョンをポスターにしたもの)の効果は、このようなところから生まれるのではないかと思います。
また「阿頼耶識」と「宇宙意識」は連続していますが、そのありようは全く違うようです。(あくまで仮説ですが)
「阿頼耶識」は「色」の世界、「宇宙意識」は「空」の世界です。「色」の世界での物理法則はニュートン力学だと思いますが、「空」の世界は量子力学の世界ではないかと想像しています。
だから個体を超えて、メッセージのやり取りが行われているかもしれません。一種のテレパシーのようなものかもしれませんが。
以心伝心や、虫の知らせ、セレンディピティやシンクロニシティといった現象は、そんなところから起こることかもしれません。
「在り方」が結果に影響するのは、こういったことが作用しているかもしれません。
「かもしれない」という世界の話ではありますが、直観的にそれは「正しい可能性が高い」と僕は考えています。
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